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第013頁 さよなら、ヘルシー

 

ここ10年くらい、料理に関して「ヘルシー」という言葉がやたらと使われるようになったが、これほどいい加減な言葉も無い。そもそも基準が曖昧で、総じて

・カロリー(油や糖分)が少ない、もしくは無い
・野菜が多く入っている

ような料理に対して使われているが、中には雑穀を使っていたり酢が入っていたりするものをヘルシーと言っていたりする。

恐らくは人間の肉体を健康に保つのに必要な栄養素が入っている事と、太らないようにカロリーの低い事を漠然と指しているのだろうと思われる。

ではこうした「ヘルシー」な料理で健康になれるかといったら、必ずしもそうならない。

なぜなら、野菜も必要だろうが、しかし同時に油も肉も糖分も必要なのである。そして何より野菜にしても雑穀にしても酢にしても、食べて体に吸収されなければ意味が無いから、吸収の良くなるような調理方法にも言及されなければならない。

またいくらカロリーが低くても、それ以上に運動不足だったり、また食欲の不満足による間食の摂取等があれば逆に太ってしまうだろう。

しかもこの「ヘルシー」という言葉は、裏づけとなる科学的根拠を離れて呪文化しつつある。ヘルシーと言われる料理によって実際に健康になれるかどうかが問題ではなくなり、ヘルシーと言われる料理を食べていないと不健康になってしまうのではという強迫観念に圧され、無理に美味くも無い「ヘルシー」な料理を食べ続け、結果として肉体的にも精神的にも不健康になってしまっている。

ここでもう一度考え直さなければならないのは、そもそも食欲とか味覚とは何なのかということである。

人間の体は上手くできているもので、食欲や味覚(それに嗅覚もか?)に従えば、必要な栄養素を摂取できるようになっている。空腹は本来は肉体を維持するのに必要なカロリー不足のシグナルであり、味覚が欲するものには肉体が必要な栄養分が含まれており、毒が入っていたり腐敗していれば味覚や嗅覚に合わなくなる。

他にも肉体労働後や妊娠中などの体の状態によって味覚が変ったり、同じ物ばかり食べていると舌が飽きてくるのも、人間の体の精巧さを表すものだろう。そして更に重要な事は、食欲や味覚や通して肉体的なものと精神的なものとが繋がっているということである。

そしてこの人間のメカニズムに基づいて食文化というものが育ち、またこの食文化によって人間は栄えてきた。それぞれの民族や地方によって違った食文化になっているのは、その民族や地方にとってそれが最適に近いものになっているからである。だから本来は我々は日本人の食文化に従っていれば、健康で幸せな生活を送ることが出来ていた筈なのである。

では何故問題になってきているのかといえば、それまで庶民的な食文化で暮らしてきていた庶民階層が急激に豊かになり、それによって様々な食品を選択できるようになったものの、食文化がその拡張に対応できずにバランスを崩してしまったのである。その為に太りすぎや栄養不足といった不健康な人が多くなり、それに対応するように「ヘルシー」というイビツな価値観が生まれてきたのだ。

しかし、これは食文化全体の問題であり栄養学的な問題だけではない。庶民的な、量さえ多ければいいという単純なベクトルや、自己保存の為の肉や糖分や油脂への執着といったものを抑制するだけでなく、朝食を抜かないとか、家族と食べるとか、歩き食いしないとか、食間にだらだら物を食べないとか、食のマナーとか価値観とか、食を取り巻く様々な要素をも考慮しなければならない。

そして現状に対応した新しい食文化を形成してゆくことこそが、肉体的満足と精神的満足とを両立させる、本当の意味での「ヘルシー」を実現するでもあるのだ。

以上、似つかわしくも無い小難しい事をだらだらと書いてみたが、言いたい事を端折って簡単にまとめるなら、

「美味い物が体に良いもんなんだから、屁理屈こねんと素直に美味い物を食ってハッピーになろうや」

と言う事である。

まあそんなわけで、これからここ最近の飯の話を書いて行こうと思うのだが、夕食に凝って作っていた中華料理の話がメインになると思う。だから多分に「中華マンセー」な色どりになるけど、その辺はご愛嬌と言う事で、読む側でフィルターを掛けて頂ければ幸いである。

(2007.07.06 ばばろあ)

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